M&Aにおいて、対象会社の企業価値評価を算出するための方法にはさまざまな種類があります。
その方法の一つがマルチプル法(類似業種比準方式)です。
同じ企業価値評価の算定方法としてはDCF法が有名ですが、マルチプル法はこのような他の評価方法と比べてどのような特徴を持ち、またどのようなメリットやデメリットがあるのでしょうか?
本日は、マルチプル法についてじっくりと解説していきます。
マルチプル法(類似業種比準方式)とは
マルチプル法(Multiple methods)とは、M&Aにおける企業価値評価や投資における株式価値などを算定する場合に用いられている算定方法で、日本語では「類似業種比準方式」や「類似企業比較法」などと訳されています。
マルチプル法とはいったいどのような算定方法なのでしょうか?
マルチプル法とは
マルチプル(Multiple)とは「倍率」を意味する言葉で、マルチプル法とはM&Aや投資判断を行う場合に企業同士の業績指標の比較し、その倍率から対象企業の企業価値を推測する方法のことをいいます。
中小企業をM&Aする場合、上場企業のように株価に時価がついているわけではありません。
そのため、独自の方法で企業価値を測定しなければ企業価値の算定ができません。
マルチプル法を用いて企業価値評価を行う場合、上場企業の中からM&Aの対象企業に業種や業態などが似ている会社をピックアップし、さまざまな指標を用いて両社を比較して「上場企業と比べて〇〇倍」であることを測定し、それによって対象企業の企業価値を測定します。
マルチプル法の考え方
一般に、卸業の粗利率は10%、小売業が20%、製造業が30%、飲食業が40%、その他サービス業が50%と言われています。
この考え方は国税局が消費税の簡易課税における「みなし仕入れ率」にもそのまま導入しており、実情をかなり正確に反映しているものと思われます。
このことから分かるのは、同じ業種であれば同じ収益構造を持っているため、利益率もだいたい同じであるということで、この考え方を援用すると、企業価値もそれらの指標の比較から倍率計算すればある程度の精度で算出できることになります。
一部上場企業は経済的合理性に則り経営されているため非合理的な部分が少なく、その結果各種指標の業種平均値に近い数字で常に推移していると考えられています(実際はそうばかりではありませんが)。
そのため、「M&Aの対象となる中小企業と比較して倍率を測定し、その倍率を利用すれば対象企業の企業価値が測定できるのではないか?」という考え方に立脚して作り上げられたものがマルチプル法なのです。
マルチプル法の特徴
マルチプル法の特徴は、DCF法のように複雑な計算をしなくても、簡単に(比較的)客観性の高い企業価値を測定することができる点にあります。
ですから、株式市場において複数の投資候補先の中から割安銘柄を探し出す場合や、M&Aにおいてはざっくりと企業価値を測定するような初期段階で多く活用されています。
マルチプル法と他の手法との違い
企業価値を算定する方法には、「インカムアプローチ」と「コストアプローチ」と「マーケットアプローチ」の3つがあります。
マーケットアプローチの一種であるマルチプル法は、他の2つと比べてどのような違いがあるのでしょうか?
インカムアプローチとの違い
マルチプル法は類似業種との比較により企業価値を算出します。
そのため、(絶対的価値がすでに株価という形で測定されている)上場企業との相対的な評価によって企業価値を算出します。
いっぽうインカムアプローチとは、DCF法に代表される企業価値評価の算出方法で、現代ファイナンス理論に基づく数式を屈指し、できるだけロジカルに絶対的な価値を算出しようとしています。
このように、相対的評価によって企業価値を測定しようとするマルチプル法は、絶対的評価によって企業価値を算出しようとするインカムアプローチとは、アプローチの方法がかなり違います。
コストアプローチとの違い
コストアプローチとは、会社の財務資料を基に純資産価格を時価に換算し、それにのれん代を加えたものを企業価値とする方法です。
もう少し分かりやすく言うと、「今その会社が解散したらいくら手元に残るのか?」と「のれん代としてプラスアルファでどれくらいの価値があるのか?」の2つを合計した金額を対象企業の企業価値とする方法です。
のれん代の計算は、対象企業の営業利益の平均値の3~5年分が用いられていますが、この金額には特に数学的な根拠があるわけではありません。
そのため、マルチプル法と比べると企業価値の算出に時間はかからないものの、結果についての論理的根拠がやや弱いものになっています。
マルチプル法で用いられる指標について
マルチプル法で企業価値評価を行う場合、M&Aの対象となる中小企業と上場企業の類似会社をいくつかの指標を用いて比較分析していきます。
この章では、その中でも特に重要な4つの指標について解説していきます。
代表的な指標① EBIT
EBIT(イービット)とは、Earnings Before Interest and Taxesの略語で、日本語では「利息及び税引前利益」と言います。
EBITは、支払利息や受取利息などの財務活動に関わる費用や収益の影響を除き、純粋に事業活動から生じる利益のみを表す指標です。
起業したばかりや大型の設備投資を行った直後は、金融機関からの借入金が多くなるため多額の支払利息が発生します。
また逆に、本業以外の投資を行うことにより受取利息や配当金などの営業外収益が発生する場合があります。
このような営業外の費用や収益を当期利益から排除し、事業活動のみの収益力を測るための指標としてEBITは用いられます。
なお、EBITは以下の式で算出することができます。
- EBIT=税引前当期利益+支払利息-受取利息
代表的な指標② EBITDA
EBITDA(「イービットディーエー」もしくは「イービットダー」など)とはEarnings Before Interest Taxes Depreciation and Amortizationの略語で、税引前利益に支払利息や減価償却費などを加えることにより1年間の営業キャッシュフローに相当する金額を表すことのできる企業価値評価の指標です。
EBITDAを算出するためにはさまざまな式がありますが、もっとも頻繁に利用されているのが以下の式です。
- EBITDA=営業利益+減価償却費
EBITとEBITDAの違い
EBITとEBITDAの式を見比べていただくと、この2つの役割の何がどう違うのかが見えてきます。
EBITが企業収益から排除しているのは、資金調達のためのコストや投資収益などです。
いっぽうEBITDAは、EBITから更に投資キャッシュフローの影響をも排除しています。
この2つの指標を日本酒でたとえるなら、EBITが純米酒で、EBITDAが精米歩合を更に高めた純米大吟醸といえます。
EBITDAの算式で用いられている営業利益とは、当期の事業で得た営業キャッシュフローと、過去の設備投資を回収するための投資キャッシュフロー(=減価償却費)の2種類のキャッシュフローから構成されています。
そのため、営業利益に(すでに費用計上されている)減価償却費を加えることにより、投資キャッシュフロー(=減価償却費)の影響を受けない営業キャッシュフローのみを抽出することができるわけです。
EBITDAが表している営業キャッシュフローは企業の本質的な稼ぐ力を表しているため、M&Aにおける企業価値評価や、株式投資などの多くの場面でこの指標が用いられています。
代表的な指標③ PER
PERとはPrice Earnings Ratioの略語で、日本語では「株価収益率」と言います。
PERは、企業の株価が純利益の何倍になっているのかを表す指標です。
なお、PERは以下の式で算出することができます。
- PER=株価÷1株当たりの純利益
投資判断を行う場合にPERを用いると、企業の利益水準に対して現在の株価が割高なのか割安なのかが分かります。
また、マルチプル法で用いる場合は、同業種であればPERも似た倍数になるという性質を用いて利用されています。
代表的な指標④ PBR
PBRとはPrice Book-value Ratioの略語で、日本語では「株価純資産倍率」と言います。
PBRは、株価が1株当たりの純資産と比べて何倍になっているのかを知るための指標です。
PERが、株価の1株当たりの純利益の倍率を表しているのに対し、PBRは、株価の1株あたりの純資産の倍率を表しており、PBRの数値が高いと割高、低いと割安であると判断されています。
なお、PBRは以下の式で算出することができます。
- PBR=株価÷1株当たりの純資産
マルチプル法により企業価値を評価する場合は、この章でご紹介した4つの指標を同業の上場企業と比較し、その倍率から対象企業の企業価値を算出します。
マルチプル法による実際の企業価値算定手順
ここまではマルチプル法の基本的な考え方や、そこで用いられる代表的な4つの指標についてお話ししてきました。
そこでこの章では、実際にそれらをどのように用いて企業価値を算定していくのかについて解説していきます。
マルチプル法を用いた企業価値評価の手順
マルチプル法を用いて企業価値評価を行う場合、以下の手順に沿って算定を進めていきます。
- 対象企業に類似した企業を上場企業の中から複数選定する
- 類似上場企業との倍率(マルチプル)を算定する
- 対象企業に倍率をかけ、企業価値を算定する
1.対象企業に類似した企業を上場企業の中から複数選定する
企業価値評価の対象となる企業と、業種や事業内容ができるだけ似ている企業を上場企業の中から複数社選択します。
この時、単に業種や事業内容が似ている程度で選定するだけでなく、収益構造や現在ターゲットとしている市場、そして将来的に進出することを検討している分野などが似ているものを有価証券報告書などを参考にしながらじっくりと選定していきます。
2.類似上場企業との倍率(マルチプル)を算定する
選定した類似上場企業の倍率を算定します。
前章でご紹介した4つ指標のうちどれを用いるのが最も相応しいかを十分に検討したうえで、その指標を用いた場合の倍率を算定していきます。
3.対象企業に倍率をかけ、企業価値を算定する
複数社の倍率の平均値をとり、それにある程度の遊びを持たせた倍率を評価対象企業に乗じて(注)企業価値を算出します。
(注)倍率を評価対象企業の何に乗じるのかは、どの指数を用いてその倍率を算出したのかによって変わります。
たとえばPBRを用いて倍率を算出した場合であれば、算出した倍率に評価対象企業の純資産を乗じます。
マルチプル法のメリット・デメリットについて
では最後に、マルチプル法のメリット・デメリットについてまとめてみます。
マルチプル法のメリット
マルチプル法のメリットは、DCF法などと比べると、企業価値評価を比較的短時間で行うことができる点にあります。
また、同じ業種であれば指標も近い数字になるという性質を利用し、類似上場企業と比較することにより、相対的評価にはなるものの、ある程度理論に裏付けられた企業価値を算出することができます。
マルチプル法のデメリット
マルチプル法のデメリットは、何といっても類似上場企業を選定する難しさです。
企業は、上場非上場に関わらず、他社とは違う独自性に基づくサービスや商品を市場でアピールするために日々努力しています。
それらの企業を、単に同業であるからというだけで比較対象の遡上に乗せてしまっては、算出した数字に客観性を持たせることはできません。
また、用いる指数についても同様です。企業の価値を正しく表す指標は、企業がどの発展段階にいるのかによってことなります。
立ち上げたばかりのベンチャー企業と、社歴が100年を超える企業とでは、たとえ同業であったとしても、同じ指標を用いては正しく企業価値を算定することができません。
このように、マルチプル法を用いた企業価値評価は、比較対照するための類似上場企業の選定や、どの指数を用いるのかの決定によって、大幅に結果が変わってしまうというデメリットがあります。
まとめ
マルチプル法は、インカムアプローチやコストアプローチとは違い、上場している類似業種企業との比較により相対的な価値を算出することができます。
「どの企業と比較するのか?」や「どの指数を使うのか」によって算出結果が大幅に変わるため、その選定には細心の注意が必要ですが、DCF法などと比べると圧倒的に短期間でざっくりとした企業価値評価を知ることが出来ます。
ただし本格的な企業価値の測定は測定者によってかなり変わるため、「自社の企業価値がどれくらいか知りたい」と思われる方は、一度専門家にご相談されることをおすすめします。
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